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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第2節 進路相談 [15]




 門前払いだ。当然だろう。加害者の親族などとは会いたくもないという被害者意識は理解できるし、なにより柚賀家はその事実自体も隠そうとしているのだ。
 でも、だからといってこのまま知らんフリなんて。

 養護施設で育った奴なんて、所詮は信用できない。
 悪い子ではないんだけど、高卒だからねぇ。

 そんな陰口に耐えてきた綾子にとって、この状況は無視できなかった。
 もしここで何の行動も起こさなければ、こちらがどれほど悪いと思っているのか、その思いを伝えなければ、また口汚い言葉に晒されてしまう。

 やっぱり親のいない人間は、やる事も野蛮だ。身内が罪を犯しても謝罪一つしないんだから、常識というものを知らない。

 何をやっても育ちのせいにされてしまう。
 綾子のプライドが許さなかった。
 長いこと柚賀家のまわりを調べ、被害を受けた少女が一日中一つの部屋で過ごしている事を知った。その部屋はいつもカーテンが閉められているが、夜中に少しだけ、少女が顔を見せる。
 綾子はその時間帯を狙って、窓にメモを残してみた。部屋は二階だったが庭に面していて、大木を登れば窓へ辿り着けた。木登りは施設に居た頃から得意だった。
 こんな大木が庭にあるなんて、すごいな。まるで映画に出てくる家みたいだ。
 そんな事を考えながら登ったのを覚えている。警備の人間がいたかどうかはわからない。誰かに見つかっていれば、それこそ警察へ突き出されていただろう。だが、運が良かったのか、それとも柚賀家があまりに無防備過ぎたのか、綾子は見つからなかった。セキュリティ設備は、今ほど普及はしていなかった。
 返事などは期待していなかったが、念の為に住所と名前も書いておいた。
 返事は、来た。
 返事が来たというその事実にも驚いたが、文面には目を見張った。罵倒されるであろうと覚悟していた綾子には、あまりに優しい言葉が並べられていた。
 愛されて育った人間は、違うな。
 そんな捻くれた感情で読んでしまう自分を嫌だと思いながら、それでも返信してみた。高校の友達の名前が書かれており、その名前で手紙を出してくれれば自分の手元にまで届くはずだと書かれていた。
 偽名を使っての文通という行為に、ちょっとした好奇心も沸いたのかもしれない。こうして被害者と加害者の姉との間に、奇妙な交流が始まった。
 綾子は自分の素性を隠さなかった。知られたくないという思いはあったが、悪いことはしていないのだからという変なプライドが、隠す事を許さなかった。
 それに、どうせこんな事は少しの間だけだ。人間関係なんて希薄なものだ。会う事だって無いんだろう。
 事実、二人が会う事はなかった。その夜まで―――



「目の前で、不敵に私を睨み上げる詩織ちゃんの瞳を見て、やっとわかった」
 綾子は水割りのグラスを膝に乗せ、視線を落す。
「どうして私の手紙に、優しい言葉を返してくれたのか」
 弟の行為を詫びる綾子のメモに、詩織は、悪いのはあなたではないといった内容の返事を書いてきた。
 愛されて育つ人間は優しいものだな。綾子は、そんな捻くれた感情しか持てなかった。
 だが、妊娠して家を飛び出し、店で働かせろと詰め寄る詩織の姿に、綾子は初めて自分の考えに疑問を持った。
 この子は、強い子なのかもしれない。
 助けてあげたいと思った。弟の所業などは関係なく、力になってあげたいと思った。
 自分は親に捨てられた。そのせいでこのような生活を送っている。グチを言っても仕方がないと思いながら、それでも気持ちが萎えてしまいそうになる時はある。詩織のように、親元を飛び出してきた人間の頑張る姿を見れば、自分の励みになるかもしれない。
 それに、この子は私を責めなかった。
 加害者の姉としてどのように行動すればいいのかまったくわからず、勝手な行動で出してしまった手紙。それを詩織は、常識外れだなどといった言葉で切り捨てる事はしなかった。
 自分の行動を、この子は認めてくれた。
 嬉しかった。だから、助けてあげたいと思った。
 綾子は自分の部屋に詩織を住まわせてやる事にした。もちろん、あまり期待などはしていなかった。この世界でがんばって欲しいとは思いながらも、そんなに期待してはいけないと言い聞かせる自分もいた。期待すればするほど裏切られた時の落胆が大きい事を知っていたからだろうか? とにかく、このような生活は長くは続かないだろうと思っていた。
 何と言っても詩織はお嬢様だ。水商売など続きはしない。いずれ親元に戻る事になるだろう。そうだ、私のそばに残ってくれる人など、いるはずがない。
 だが、そうはならなかった。
 やがて詩織は女の子を産み、美鶴と名づけた。そこで問題に直面した。戸籍をどうするか。
「無戸籍は子供のためにならない」
 言い含められ、しぶしぶと市役所へ行った詩織は、そこで初めて両親の離婚を知らされた。自分が家を出てすぐの事だったらしい。自分は母親に引き取られたことになっていた。妹は柚賀家の、父親の元に残された。
 詩織は、その事実に驚きはしたが疑問には思わなかった。
 詩織が家出をして以降、例えば、新聞の片隅に自分を捜すような記事が載ったりする事はなかった。柚賀家は、父親は自分を捜そうとはしなかった。代わりに自分を柚賀家から抹消したのだ。
 家出やその他一連の騒動の当事者など、そもそも柚賀家の家の者ではない。
 詩織がこのような騒動を引き起こしたのはお前のせいだなどと一方的に父に(なじ)られ、母は離婚されて大迫(おおさこ)家へ戻されてしまったのだろう。母は大人しく優しく、傲慢な父親にはこれ以上ないほど都合の良い配偶者であった。
 詩織の脳裏に、身を竦める母の姿が浮かぶ。塾などに通わせたお前が悪い。そう怒鳴り散らす父親の喚き声が耳に響く。
 母はどうしているのだろう?
 だが、どの顔をして訪ねればよいのかわからず、結局詩織は母親が返された大迫家へ出向く事なく籍をいじった。
 こうして詩織は大迫詩織となり、娘は大迫美鶴となった。



「それからずっと、私たちは一緒。私が男を追って岐阜へ()ってきた時にも付いて来ると言って聞かなかったわ。思えば詩織ちゃんは最初から頑固で大変だった」
 自宅で煎餅をかじりながらお笑い番組に熱中する母。自分のペースを(かたく)なに守るという点では確かに頑固、か?
「ようは、中絶できないから仕方なく産んだ、って事ですよね?」
 いい加減で能天気な母の知らなかった一面を認める事ができず、美鶴はブスリと口を尖らせる。結局は、望まれて産まれたワケではないのだ。
 だがそんな美鶴に、綾子はぼんやりと答える。
「それは違うと思うわ」
「そうですか?」
「そうよ、でなきゃ、家を抜け出して私に電話をかけて店に押しかけてきた時に、あんな事を言ったりはしないもの」

「こういう商売をしている人って、無許可な医者と繋がりがあるんでしょう? そういうところへ連れて行ってください」
「この子を産みます」

「もし本当に望んでいないのなら、あそこでは『この子を()ろします』って言うはずでしょう?」
「それは、そうですけど」
「たとえ21週を過ぎていなくっても、12週を過ぎていなかったとしても、私は詩織ちゃんは産んだと思うわ」
「12週?」
「妊娠12週目を超えると、中絶した時に胎児の死亡届だか死産届だかを提出しなければならないの。22週目以降の中絶は法律で禁止されているんじゃなかったかしら? こういう商売をしていると詳しくなっちゃうのよね」
 水割りで乾杯をする仕草をしながらふふっと笑う。
「でも死亡届を出したくない人やいろいろ事情のある人は、闇医者を頼る事が多い。そういう患者をアテにしている医者も多い。だから詩織ちゃんが闇医者を頼った時、あなたを堕ろそうと思えばできない事はなかったはずよ。でも、詩織ちゃんはそうはしなかった」







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